いろんなキッカケ

「いろんなキッカケで次々に行動を連鎖させていく才能」要するに「イキアタリバッタリ力(りょく)」を 、ポジティヴに捉え、日々のいろんなキッカケとそれによって学んだことなどを記録していきます。

炎上が醜いなぁと思ってスルーもできんなら、とりあえず1ブロック離れた所から感想…

※下記は有名な文章生成に特化したAIに、私の駄文を整えさせたものに、私が加筆したものだが、いやはややっぱり味気ない、当たり障りなさ過ぎて私の味が抜けていて全然、想いが伝わらん文章だなぁ、と思う。…あぁそうか、これが一般的に言う整えられた状態の文章なのか…と間接的且つ客観的に、自分の発信がどうなのか、ってのが判る。キツイとか強烈ってそういうことか…多分…と言いながら一応投稿しておく。はい、以下、AIによって整えられた文章です。

ランダムなおすすめ投稿と炎上案件への遭遇

今日も勝手にフィードされるおすすめ投稿。ある炎上案件について、それを知った上で関連する投稿を読むのと、全く知らずに投稿を読むのでは、状況が大きく異なる。

私は、特定の主語を避けて事実ベースで書く投稿スタイルを好む。これにより、特定の人物(の名前)の印象から生じる先入観を回避できるからだ。有名人に対するエアリプや、その名前が判別しにくい投稿も、個人的な知識や関心がなければ、ただの名前として流れていく。

TwitterXのアルゴリズムと情報収集のメカニズム

フィードは止まることなく流れ続け、トレンドにも登場する。最初は何の話か判らずにスルーしていた私の脳内も、いつの間にかパズル照合作業を始める。そもそも初めから気になっていれば、とっくに能動的に調べている。

TwitterX内で意図せずとも、フィードに身を任せていると、自然と情報が目に入ってくる。今回の案件も、漠然と関東や東京の話かと思っていたら、実は愛知県の常滑に関する話だったり。断片的に流れてくるツイートのキーワードを目が拾い、知らず知らずのうちにパズルを完成させていく。

 炎上現象と集団心理

ドリカムに関する騒動であれ、他の有名人であれ、TwitterXでの「鬼の首を取った」系の投稿は相変わらずだ。「30年前から(ドリカムが)嫌いだったからこれで答え合わせになった」とかいう投稿や、叩き合いの応酬が繰り広げられる。

投稿には様々な反応がある:
- 優しい理解を示す投稿
- 土地勘や状況を考慮する意見
- 他のアーティストと比較して批判する投稿

このストレス発散シンドロームは、対象が有名人であれ、一般人であれ、同じパターンを繰り返す。寿司ペロ少年とか、自転車逆走おばさんとか、八坂神社の鈴鳴らしの外国人とか…いろいろ思い浮かぶ、もっともっとあるけどね、全部知らぬが仏、笑。

メディアと世論の可視化

興味深いのは、このような現象が世論の一部をフィルターバブルとは言え可視化する役割を果たしていること。不快ではあるが、考えさせられる反面教師のような存在とも言える。TwitterXは世界の縮図とはずっと言っていることだが。

SNSの利用と個人的アプローチ

私のTwitterX利用は、SNS交流よりもデータベース構築に近い。ハッシュタグや外部リンクを多用するため、プラットフォームのアルゴリズム的には閲覧者の外部流出を促すために、悪い因子として認識しているらしい。

しかし、資料や索引目的でのハッシュタグやリンクの利用は不可欠だと考えている。プラットフォームの経済的都合に従う義務はなく、自分のニーズに合った利用を追求する。

 最終的な考察

SNS化による弊害が、TwitterX(X)5年目にして露呈してきた。かつてFacebookを離れた時と同じような窮屈さを感じる。日々のトピックにおける内輪の馴れ合いや、分断されたディスカッションは好ましくない。

この変化は自然な流れであり、より健全なオンライン、オフラインのバランスを模索する機会となるのかもしれない。

 

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はい、ここからは自分のままの文章で書きます。

…なんかTwitter上に投稿するのも、しょうもない炎上に加担することになるので、1ブロックアウェイから、間接的に意見を放っておこう。

でも、今回の炎上関連で、中山美穂が歌番組で50/50歌っとる映像のバックバンドに中村さんが🎸、美和さんがコーラスって言う映像を観たけど、貴重なもの見させてもらったなぁ。知らんかったしそんな過去…中山美穂さんのあの頃も可愛かったし、私は昭和末期を思い出したし…こういう副産物もあるんだよな炎上って確かに。そうなのよ、自分も10数年前に炎上に巻き込まれたのに、副産物でありがたい事が続いたし(自然発生的売名行為ってことなんだろうなぁ)

 

まぁ何からでも学ぶことはいっぱいですね、チャンチャン。