いろんなキッカケ

「いろんなキッカケで次々に行動を連鎖させていく才能」要するに「イキアタリバッタリ力(りょく)」を 、ポジティヴに捉え、日々のいろんなキッカケとそれによって学んだことなどを記録していきます。

「『明日、ママがいない』の反響」からの「ドラマと現実の関係を考える」

昨夜に書いた記事について↓

賛否両論あるこのドラマについてはもちろん、
世間一般でのTVドラマの影響力、というものを考えてみました。

私は10代から20代にかけての長い期間
英国に住んでいた時代があるのですが、

向こうのTVドラマは
当時の私にとってはつまらないものが多くて、
その中でも特に
当時で既に10〜30年以上続いているホームドラマみたいなのが
絶大な指示を得ていました。

今調べてみたらまだやっているとのことで
それこそ1985年や1960年からって、
もうヤヴァイですね、、、完全に国の文化ですね。

その中のトップが次の2つのドラマです。

◼︎EastEnders

日本語の解説はこちら↓

◼︎Coronation Street

日本語の解説はこちら↓(しかもギネス認定の世界最古ドラマになったらしい、、、驚愕)

世代を超えて支持されていて
そんなに長年やっているものだから、

どこどこの○○地区とか
○○通り、みたいなごくごく世界の狭いコミュニティの話で、
登場人物も結婚したり出産したり、別れたり、くっついたり
ダラダラ延々と日常を描写したドラマになっていて、

週1じゃなくて毎日だったかなぁ(詳しくはwiki参照)
昼ドラというか、英語ではsoap(soap opera)と呼ばれているんですけど、
1日に昼間の放送を夕方に再放送するのは、
NHKの連ドラとちょっと似ているかんじかも。

でもそれを何十年も続けているんですから、
想像を絶します。

日本でソープって言ったら風俗を連想させられがちですが、
まぁその昔、そのドラマの枠のスポンサーが石鹸の会社だったからという理由で
「石鹸ドラマ」的なノリの語源なんでしょうけど。

日本でも花王とかライオンとかP&Gとか、、、
主婦層ターゲットにと、
まぁ昼ドラの時間枠の万国共通的要素は否めないかもですね。

それで話は戻りますが、
その英国のソープも
次回はどうなる、どうなる?で大人も子供も話題が持ちきりで、
主婦向けのペラペラのゴシップ週刊誌みたいなのには
必ずそのドラマの特集が組まれているし、

日本で言うTVガイドとか
テレビジョン的な雑誌が、もう熱くそのソープを取り上げ続けるんですね。

きっと内容も現代人のエンターテイメントLevelを満たすために
どんどん過激化しているのだろうなぁ。

当時は大学のランチタイムでも
結構その話題が出されることがあり、
外国人であり、尚且つそういうドラマを心から軽蔑していた私は、
その話題になるともう気持ちは上の空でした。

実際に観ていなくても、
そういう会話が聞こえてくるだけで
ざっくり流れは分かって吸収してしまうものです、
無駄な脳の使われ方ですね、、、。

その頃お付き合いしていた男性は
英国生まれ英国育ちですが、

アフリカと北欧のミックス人種で
親に棄てられ孤児院に入れられていたような人で、

コテコテの英国大衆文化傾向を忌み嫌っていて、
ソープの事もそれに振り回される人達の事も
日常的に馬鹿にしていました。

前置きは長くなりましたが、
その彼が言った内容は20年以上経った今でも
印象的でずっと記憶に残っています。

「ドラマが人々の実際の現実の日常世界を
描写しているから支持されているのではなく、
その逆で、
人々がそのドラマの内容を再現するように生きている。」
と言った内容でした。

フィクションドラマ(作り話)が
現実社会を変えていってしまう。

これ、一理有ると思うのです。

毎日欠かさない日課が
連ドラを観る事。

受動的に受動的に
ポカーンと、、、。

脳科学的にもどうでしょう?

ミラーニューロンという言葉や、
「思考が現実化する」という考えがありますが、
正にそれじゃないかな、と。

最初は誰にでもあるような
共感を呼ぶような一般的な内容だったのかもしれない、、、

でもいつしか視聴者はどんどん刺激を求め、
TV局も視聴率を上げるために視聴者の求める刺激を供給する、
ドラッグみたいな関係になって、

ドラマと視聴者の立場が逆転するというか、、、。

誰にでもある平凡な日々の描写で始まったフツーの話が、
どんどんスキャンダラスになって行き、
どんどん好き放題に作り話が生まれ、ありえないような展開を繰り広げる。

でもそれを観る視聴者は、
自分が想像もしないような展開の作り話に出会い、
脳が刺激されて、それが記憶に残って、
思考に影響が与えられ、

自分だけでは想像もしなかったことが、
そのドラマを見ることによって
それがフィクションだろうがノンフィクションだろうが
「物事」として脳に刻み込まれて、、、。

サブリミナル映像が埋め込まれている、とか
そういう次元の話ではなく、

連続的に習慣的に一定の世界観を
自分の脳に取り入れることによって、

それが無意識の内に
その観る人の脳内にどういった思考を埋め込むのか、と考え始めると
少し怖いなと思います。

感動的な場面で感動した、みたいな単純なものではなく、
残酷な場面に心を痛めても、
そんな見たこともないような残酷な状況や話の存在が
脳に取り入れられている気がするのです、無意識の内に。
無意識の内に植え込まれてしまうというか。

例え嫌いな場面だったとしても。

それがじわじわじわじわと積み重なり、、、。

どうなんだろう、
たまに見る映画とかドラマであればそこまで影響力はないと思うのですが、
それこそ

毎日毎日、
それを長年継続することによる
自分自身の思考の方法や生き方に対する影響って
絶対にあると思うのです。

老若男女関係なく。

今回の
「明日、ママがいない」みたいな
日本のドラマでは一般的な
週1でワンクールで終わるぐらいのスパンと期間なら
ギリギリ安全と言えるのかしら。

ドラマと現実を混同してしまうような
一種の精神疾患状態に陥ってしまうことには、
充分注意したいものです。

ポジティヴな影響ならいいのですが、
万国共通で「人の不幸は蜜の味」という人間心理はありますからね。
ネガティヴ要素を肯定するような影響になってしまうのは危ないと思います。


私もドラマ「明日、ママがいない」を観るにあたって、
自分の軸をしっかり持つことで
えー、こんなことが!?と感じたりする事もきっと多いと思いますが、
おかしなネガティヴ要素を脳内に取り込まないようにしたいです。

でも無意識に脳が処理をするだろうから
自分でコントロールできないかな。

人間がTVドラマ観たくなる心理って、
難しい問題ですね。

観なきゃいいのに。
でも観たくなっちゃったのだから、、、。